【映画感想】タクシードライバー

どうも、絶望の春巻です。

今回は映画ロバート・デニーロ主演、1976年に公開された「タクシードライバー」について感想を書いていきたいと思います。

 

 

 

※以下映画内容のネタバレ含むのでご注意ください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あらすじ 

ニューヨークにある小さなタクシー会社に運転手志望の男性が現れた。ベトナム戦争帰りの元海兵隊員と称するトラヴィス・ビックルロバート・デ・ニーロ)は、戦争による深刻な不眠症を患っているため定職に就くこともままならず、タクシー会社に就職。そして、そこで目にする麻薬性欲に溺れる若者や盛り場の退廃ぶりに嫌悪を示していた。

ある日、トラヴィスは次期大統領候補、チャールズ・パランタイン上院議員選挙事務所付近を通りかかる。彼はそこで勤務するベッツィーシビル・シェパード)に魅かれ、彼女をデートに誘う。徐々に懇意になっていく二人だったが、トラヴィスは日頃の習性でベッツィーとポルノ映画館に入り、激昂させてしまう。以来、どうなだめても応じず、思うようにことが運ばない彼はついに選挙事務所に押し掛け「殺してやる」と罵るのであった。

ラヴィス不眠症は深刻さを増し、心は荒んでいく一方であった。そんな中、トラヴィスのタクシーに突如幼い少女が逃げ込んできた。アイリスと名乗る少女(ジョディ・フォスター)にトラヴィス売春で稼ぎ学校にも行かない生活を止めるように説得した。アイリスは、恋愛などではなくヒモに騙され利用されていることに気づいていない。しまいに少女にあきれられてしまうトラヴィス

ラヴィスは浄化作戦を実行に移す。次期大統領候補であるパランタインの集会に現れたトラヴィスの出で立ちは、モヒカンサングラス。パランタインを射殺しようとした彼はシークレット・サービスに目撃され人混みの中を逃げ去った。その夜トラヴィスは、アイリスのヒモ、スポーツハーヴェイ・カイテル)を撃つ。続いて用心棒、さらにアイリスの眼前で売春稼業の元締めを立て続けに射殺。自らも銃弾を受けて重傷を負うも、マスコミは彼を一人の少女を裏社会から救った英雄として祭り上げる。

ある夜、タクシーを止め、路上で会社の同僚達と話していると、トラヴィスの車にベッツィーが乗り込む。彼女を下ろしたあと、彼は夜の街をタクシーで一人彷徨い続ける。

Wikipediaより抜粋)

 

 

 

全体について

どうにもならない社会への不満と世の不条理、絶望感と退廃感漂う何とも香ばしい映画です。主人公の住むニューヨークの街並み、また主人公トラビスのみすぼらしい住まいも上記の雰囲気を加速させ、雰囲気は満天です。

映画を見る前、トラビスは娼婦の少女アイリスの職場である娼館を突撃した後、ただ警察から追われ逃げ惑うばかりかと思ったんですが、予想とは異なり、自身の行いがあまつさえ新聞に掲載され、アイリスの親から礼状まで貰っているんですね。意外。

トラビスの行き場のない暴力性が「正義」の名を借りて暴走した結末がこれとは、少し拍子抜けでした。

 

 

トラビスについて

自分の目に映る主人公トラビスの姿には、常に悲しさが付き纏います。短絡的で時に暴力的な(しかも、段々と過激な方向へと走っていく)彼の行動が、まさしく自暴自棄という言葉が合うようだと思ったからです。

トラビスは彼を取り巻く世界に絶望している。

しかし、彼が本当に絶望しているのは自分や、自分の人生に対してなんでしょうね。

トラビスは「自分には何故か寂しさが付きまとっている」と話していますが、それは彼の持つ絶望と孤独感から来る空虚さなのではないかと思うんです。

トラビスの圧倒的な孤独感はどの場面でも伝わってきます。絶望と孤独は常にセットでついてくるものですね・・・ 

 

また彼の話す言葉の脈絡のなさに、彼自身の人間性も現れていると思います。実際、彼から繰り出される言葉に論理性や意味を見出だそうとするのは困難です。中身の伴わない言葉が淡々と繰り出されている。そのせいで、同僚の評判もあまり振るわない様子。

ベツィから「矛盾を秘めた人物」や、スポーツ(マシュー)に「あんたイカれてるな」などと評されるトラビスは、発言や行動に一貫性を欠いた人物として写ります。

トラビスの無学な側面もその人物像を強調していると言えるでしょう。パランタイン議員の下、心を寄せるベツィが働いているからという理由で選挙でパランタイン議員が大統領選に受かるよう応援しますが、なぜ応援するのかということに、政治的な理由は特にありません。そのことに周囲も気付き少々呆れ気味の様子でした。この点も、トラビスの「論理性の欠如」の表現に一役買っているとも見れます。

 

 

トラビスと二人の女性について

 トラビスとベツィ、アイリスの関係性にも注目してみたいと思います。

作中、トラビスはこの二人の女性に対し好意を抱きますが、同時に「逃避の欲望」も見出しています。二人に対し、周囲が不満だろう?気に入らないろう?というような言葉をかけています。アイリスに関しては、逃げ出したいのだろう、助けてやるとまで声をかける程です。

しかしこれは、本来は彼女達の欲望ではなく、トラビス自身の欲望が彼女達に投影されているに過ぎないのだと思います。

本当に逃げたいのは、他の誰でもない、トラビスなのです。

それが本作終盤の展開にも現れています。結局ピンプのスポーツと娼館の経営者、アイリスの客を殺しただけでアイリスは実家に帰り元鞘に収まってしまいます。彼女の不満や本当の問題といったところは何一つ解決されていない。アイリスは本当の意味では救われていないのです。

結果的に、逃げの一手を打っただけ。裏社会から少女を救ったヒーローでも何でもない。

行き場のない暴力性を歪んだ形で外に逃しただけの人間が、トラビスという人なのだと思います。

 

絶望の行き先は、この映画の最後のように、迷い続けるのが妥当なのかもしれないですね・・・

 

さて、今日はこの辺で。

良い1日をお過ごしください!